メタボ経済からの脱出が人類の危機を回避する最善策
地球温暖化を食い止めるために、脱炭素社会やSDGsの目標達成にむけて取り組みが行われています。
しかしそれで問題は解決するのでしょうか? 根本的な問題に目を向けないと、持続可能な社会は実現しないと思います。
では、根本的な問題とは何か? そしてその問題を解決するために必要なものとは何か?
その問題に迫ってみたいと思います。
「脱炭素社会」は人類を救うか?
地球温暖化を止められなかったら子供たちの未来はどうなってしまうのだろう?
人間よりもAIのほうが優秀になったら仕事が奪われてしまうのではないか?
少子高齢化が進む日本に未来はあるのだろうか?
未来に目を向けると、次々と大きな不安が浮かんできます。
しかしそれを解決する手立ては見つかりません。経済を膨張させることは地球を破壊する行為だとわかっていても、それやめれば沈んでしまう資本主義の暴走を止められないのが今の人類の有り様です。
その姿は、まるで行く先の分からぬ沈没船に運命をゆだねる乗客のようです。
解決策として打ち出されているのは「環境技術のイノベーション」です。
つまり「脱炭素化」や「省エネ」の技術革新を進めることで、ピンチから脱することを目指しているのです。
しかし脱炭素社会になれば、いくらでも経済を大きくし続けることが可能になるのでしょうか。
地球は有限です。経済を無限に大きくすることはできませんし、そのために必要な生産者と消費者を無限に増やし続けることもできません。
資本主義は人類史上最速で経済社会を進化させましたが、最速で地球の劣化も進めてしまいました。
省エネ技術が進歩してもそれ以上に消費量が増えてしまう膨張経済では、劣化の勢いを緩めることは難しいでしょう。
経済のメタボ化は、地球の健康寿命を縮める有害行為になります。
エネルギーや資源の大量消費をやめられず技術革新にすがる解決策は、暴飲暴食をやめられないメタボ患者が夢の新薬の登場を待つのとかわりありません。
脱炭素社会は地球温暖化を食い止めるだけの対症療法に過ぎなく、人類の未来を明るくする根治療法にはならないのです。
たとえば、太陽光発電は二酸化炭素を排出しないかわりに、二酸化炭素を吸収する森林の破壊を進めます。大食いのメタボ経済をかえなければ、再生可能エネルギーは別なかたちで地球を壊していくことになるでしょう。
的はずれな「グリーン成長政策」
環境対策までも経済を太らせる食物にしようとする「グリーン成長戦略」では、患者を使って金儲けを考える治療と同じになってしまいます。
腹八分目の食生活が健康長寿のいちばんの秘訣になるように、環境と経済を両立するには、地球の健康を維持できる規模に経済を調整する他ないのです。
環境産業の発明するものは、食物におきかえれば「低カロリー食品」です。
当然のことですが、低カロリー食品を大量摂取すれば健康になれるわけではありません。暴飲暴食を改めてから、低カロリー食品に置きかえることで成果があがるのです。
ところが資本主義は、暴飲暴食をやめたくないから低カロリー食品への置き換えを必要とするような発想です。
資本主義は変更可能な乗り物
「経済を縮小させたら資本主義は死んでしまう」という言い分はあるでしょうが、その理屈は地球には通じません。取り返しのつかない事態になれば、お金をいくら払っても地球を人類の生存に適した星に戻せなくなります。
地球は人類にとってかけがえのない存在です。
それに対し資本主義は人類にとって絶対的な存在とはいえません。
つまり、資本主義でなければ人類は生存できないわけではないということです。
時代に適合したシステムの創造を
資本主義は、環境のことを考えなくても良かった時代に発明されたシステムです。
しかし環境問題が深刻化すると、ガソリン車のように時代に合わなくなってきました。
しかも「大きいことはいいことだ」という価値観で肥大化を進めた結果、経済は大排気量エンジンを積んだ大型車のようになってしまいました。
さて、このシステムは人類を明るい未来に連れて行ってくれるのでしょうか。
いくらパワーがあっても環境性能の悪いシステムでは長く走り続けることはできません。
今人類に必要なのは、地球に高い負荷をかけることなく、安定して走り続けられる性能をもったシステムです。
その性能を獲得するには、ふたつの道があります。
ひとつは「現在のシステムを改良する道」
もうひとつは「新しいシステムを創造する道」です。
現在のシステムの改良はとりかかりやすいですが、大きな成果は期待できないでしょう。
資本主義の改良は、伸びしろの少ないガソリン車の改良を行うようなものです。
しかも資本主義は縮小を嫌うので、ガソリン車が最も効果的な手段として活用する「ダウンサイジング」はやりたがらないでしょう。
有効な打開策を失えば、無理な負担と努力を企業と個人に求めるに違いなく、苦労に見合わぬ成果があがらぬまま、ついにタイムリミットを迎えてしまうのはないでしょうか。
それに対し、新しいシステムを創造する道を選べばどうなるか?
道程は楽ではないでしょうが、成功すれば人類は持続可能な社会を手に入れられるでしょう。
新しいシステムを創造する道を選ぶということは、自動車会社がガソリン車よりも、たとえば電気自動車や水素自動車に未来があると決断し、未来に通用する新しい乗り物を創造する道を進むのと同じ挑戦になるからです。
もちろん一気に新旧を入れ替えられるわけではありません。
自動車産業がガソリン車の改良にも力を入れながら新開発を進め、ガソリンエンジンとモーターを合わせたハイブリッド車から広めていったように、システムの刷新も古いシステムの改善をしながら新システムの創造に取り組み、現実に活用できるものから取り入れていくのが正しい道筋になるでしょう。
叡智が出される世の中にしたい
私はnoteを活用して自分の考えた「新システム」を公開したいと考えています。
これはサラリーマンをしながら20年近くをかけて創造したものです。
まだ満足のいくものではありませんが、この10年の取り組みが人類の未来を左右すると言われるほど地球環境が切迫した事態であると知り、公開を早める決断をした次第です。
創造性を高めるには、新システムの必要性を感じる人が増え、多くのアイデアが出される世の中にする必要があります。
私のアイデアもその一例になれば、たとえ未熟なものでも新システムの創造に少しは貢献できるのではないかと期待しています。
私の投稿が池に投げた一石のように波紋を広げ、世界中から叡智が出されるきっかけになれば幸いです。
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